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ローマ人への手紙 4:6-16 リビングバイブル (JLB)

6. ダビデ王は、救われる値打のない罪人が、神様から「罪のない者」と宣言される幸いについて、こう言っています。

7. 「罪を赦された者、罪をすっかり消された者は、なんと幸いだろう。

8. もはや主に罪を数え上げられないですむ人の喜びは、どんなだろう。」

9. すると、次のような質問が出て来ます。 この祝福は、キリスト様を信じた上に、さらにユダヤ教のいろいろなおきても守っている人にだけ与えられるのでしょうか。 それとも、ユダヤ教の規則は守らなくても、ただキリスト様を信じてさえいれば与えられるのでしょうか。 アブラハムの場合はどうだったのでしょう。 「アブラハムは信仰によってこれらの祝福を受けた」と言われています。 それは、ただ信仰だけによったのでしょうか。 それとも、ユダヤ教のいろいろな規則も守ったからなのでしょうか。

10. この質問に答えるためには、まず、次の質問に答えなければなりません。 神様はいつ、アブラハムにこの祝福をお与えになったかということです。 それは、彼がユダヤ人になる前――すなわち、ユダヤ人として認められるための儀式である割礼を受ける前――のことでした。

11. アブラハムが割礼を受けたのは、神様が彼をその信仰のゆえに祝福すると約束された時より、もっとあとのことです。 割礼の儀式が行なわれる前に、アブラハムはすでに信仰を持っており、神様はすでに彼を受け入れ、ご自分の目から見て正しい者、良い者と宣言しておられました。 割礼の儀式は、そのしるしだったのです。 こうしてアブラハムは、ユダヤ教のいろいろなおきてに従わなくても、信じて救われる人々の、信仰の父とされています。 ですから、これらの規則を守っていない人々も、信仰によって神様から正しい者と認めていただけることがわかります。 

12. アブラハムは同時に、割礼を受けているユダヤ人の、信仰の父でもあります。 ユダヤ人は、アブラハムの例から、自分たちはこの割礼の儀式によって救われるのではないとわかるはずです。 なぜなら、アブラハムは、割礼を受ける前に、ただ信仰によって神様の恵みを受けたからです。

13. そういうわけで、全地をアブラハムとその子孫に与えるという神様の約束は、アブラハムが神様のおきてに従ったからではなく、神様は必ず約束を果たしてくださる、と信じたからこそ与えられたことは明らかです。 

14. にもかかわらず、神様の祝福は「完全に善良な」人に与えられると主張するなら、「信仰を持つ者に対する神様の約束なんか意味がない。 信仰なんかばかげてる」と言っているのと同じです。 

15. ところが、実際には、神様のおきてを守ることによって神様の祝福と救いとを得ようと努力しても、結局は、神様の怒りを招く結果に終わるだけです。 なぜなら、それを守ることなど、とうていできないからです。 おきてを破らないためには、破るようなおきてを持たないにかぎります。

16. そういうわけで、神様の祝福は、無代価の贈り物として、信仰によって与えられるのです。 ユダヤ人の習慣に従うか否かに関係なく、アブラハムと同じ信仰を持っているなら、神様の祝福を確実にいただけるのです。 信仰の面から言えば、アブラハムは、私たちみんなの父です。 

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