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ローマ人への手紙 11:9-20 リビングバイブル (JLB)

9. ダビデ王も同じことを言っています。「食卓のごちそうや、さまざまの祝福は彼らのわなとなれ。 彼らを、『神様とは万事うまくいっている』という思いにさせよ。これらの良いものがはね返って来て、彼らの頭上に落ち、当然の報いとして彼らを押しつぶすがいい。

10. 彼らの目は見えなくなれ。重荷を負わされて、いつまでも背中を曲げたまま歩くがいい。」

11. これは、神様がご自分の民であるユダヤ人を退けてしまわれたことを意味するのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。 神様の目的は、このことによって神様の救いが外国人にも及び、その結果、ユダヤ人がねたんで、自分でも救いを求めるようになることにあったのです。 

12. ところで、考えてもごらんなさい。 ユダヤ人が神様の救いにつまずき、それを拒んだ時、全世界が豊かに恵まれたのです。 とすれば、後にユダヤ人もキリスト様に立ち返る時には、どんなに大きく、すばらしい祝福が、この世に与えられることでしょう。

13. ご存じのように、神様は私を、あなたがた外国人への特使に任命してくださいました。 私はこのことを非常に重んじており、できるだけ多くの機会をとらえては、そのことをユダヤ人に思い出させるようにしています。 

14. 何とかして、ユダヤ人にも、あなたがた外国人が持っているものを求めさせ、幾人かでも救いたいのです。 

15. ユダヤ人がクリスチャンになったら、どんなにすばらしいでしょう。 神様がユダヤ人から御顔をそむけたために、神様の救いが、世界のユダヤ人以外の人々に差し出されたのです。 とすれば、ユダヤ人がキリスト様に立ち返るなら、もっとすばらしいことが起こります。 それはちょうど、死人が生き返るようなものです。 

16. アブラハムや預言者は神様の民なのですから、その子孫もまた、神様の民となるはずです。 木の根がきよければ、その枝もきよくなるはずだからです。

17. ところが、アブラハムという木の幾枝か――すなわちユダヤ人のある者――は折り取られてしまいました。 そして、いわば野生のオリーブの木の枝であった外国人のあなたが、それにつぎ木されました。 それで今、あなたも、神がオリーブの木に注がれる、特別豊かな滋養分にあずかって、アブラハムとその子孫とに約束された祝福をいただいているのです。

18. しかし、折り取られた枝の代わりにつぎ木されたことを自慢しないように、注意しなさい。 あなたが重要なのは、ただ神様の木の一部になっているからです。 このことを忘れてはなりません。 あなたは、ただの枝であって根ではないのです。

19. あなたは「前の枝が折り取られたのは、私に場所を譲るためだった。 とすれば、私はかなりいい人間に違いない」と考えるかもしれません。

20. 気をつけなさい。 ユダヤ人のその枝が折り取られたのは、神様を信じなかったからであり、あなたがつぎ木されたのは、ただ神様を信じたからにほかなりません。 このことを忘れないようにしなさい。 高慢になってはいけません。 むしろ、謙虚になり、感謝する人になりなさい。 また、注意深くなければなりません。 

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