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ローマ人への手紙 9:8-22 日本語話し言葉 1955 (JA1955)

8. すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。

9. 約束の言葉はこうである。「来年の今ごろ、わたしはまた来る。そして、サラに男子が与えられるであろう」。

10. そればかりではなく、ひとりの人、すなわち、わたしたちの父祖イサクによって受胎したリベカの場合も、また同様である。

11. まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、

12. わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

13. 「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。

14. では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。

15. 神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

16. ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。

17. 聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。

18. だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。

19. そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。

20. ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。

21. 陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。

22. もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、

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