チャプター

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  3. 3
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旧約聖書

新約聖書

ネヘミヤ記 7 リビングバイブル (JLB)

1.  城壁が完成し、とびらが取りつけられ、門衛、歌手、レビ人が任命されると、 

2. 私はエルサレムを治める責任を、兄弟ハナニと、ハナヌヤとに委ねました。 ハナヌヤは要塞の司令官で、だれよりも神様を敬う人物だったからです。 

3. 私は二、三の指示を与えました。 太陽がのぼりきるまでは開門してはならないこと、閉門は守衛が警備にあたっているうちに行ない、かんぬきはしっかりかけることなどです。 また、守衛はエルサレムに住み、規則正しく警備にあたること、城壁近くの住民は、付近の城壁警備にあたれと命じました。 

4. というのも、町は大きいのに、人口が少なく、家もまばらだったからです。

5.  神様は、町の指導者や一般市民を集めて登録をさせよ、とお命じになりました。 私は、以前エルサレムに帰って来た人々の系図を見つけましたが、それには、次のように書かれていました。

6.  「バビロン王ネブカデネザルが連行した捕囚のうち、エルサレムに帰って来た者の名は次のとおりです。

7.  指導者ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイネフム、バアナ

8-38. そのとき共に帰って来た者の数パルオシュ族 二千百七十二名シェファテヤ族 三百七十二名アラフ族 六百五十二名ヨシュアとヨアブの二族からなるパハテ・モアブ族 二千八百十八名エラム族 千二百五十四名ザト族 八百四十五名ザカイ族 七百六十名ビヌイ族 六百四十八名ベバイ族 六百二十八名アズガデ族 二千三百二十二名アドニカム族 六百六十七名ビグワイ族 二千六十七名アディン族 六百五十五名ヒゼキヤ族、すなわちアテル族 九十八名ハシュム族 三百二十八名ベツァイ族 三百二十四名ハリフ族 百十二名ギブオン族 九十五名ベツレヘムとネトファの人々 百八十八名アナトテの人々 百二十八名ベテ・アズマベテの人々 四十二名キルヤテ・エアリム、ケフィラ、ベエロテの人々 七百四十三名ラマとゲバの人々 六百二十一名ミクマスの人々 百二十二名ベテルとアイの人々 百二十三名ネボの人々 五十二名エラム族 千二百五十四名ハリム族 三百二十名エリコの人々 三百四十五名ロデ、ハディデ、オノの人々 七百二十一名セナアの人々 三千九百三十名

39-42. 帰還した祭司の数エダヤ族のうちヨシュア家の血筋の者 九百七十三名イメル族 千五十二名パシュフル族 千二百四十七名ハリム族 千十七名

43-45. レビ人の数ヨシュア族から分かれたホデヤ族のうち、カデミエルの家系の者七十四名聖歌隊員のアサフ族 百四十八名門衛のシャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族 百三十八名

46-56. 神殿奉仕者のツィハ族、ハスファ族、タバオテ族ケロス族、シア族、パドン族、レバナ族、ハガバ族サルマイ族、ハナン族、ギデル族、ガハル族、レアヤ族レツィン族、ネコダ族、ガザム族、ウザ族、パセアハ族ベサイ族、メウニム族、ネフィシェシム族、バクブク族ハクファ族、ハルフル族、バツリテ族、メヒダ族ハルシャ族、バルコス族、シセラ族、テマフ族ネツィアハ族、ハティファ族

57-59. ソロモンの家臣の子孫ソタイ族、ソフェレテ族、ペリダ族、ヤアラ族ダルコン族、ギデル族、シェファテヤ族、ハティル族ポケレテ・ハツェバイム族、アモン族

60.  神殿奉仕者とソロモンの家臣の子孫の合計は、三百九十二名です。」

61.  ペルシヤの諸都市、テル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルなどから引き揚げて来た人々もいましたが、系図をなくしていて、ユダヤ人であることを証明できませんでした。 

62. デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族の六百四十二名の人々です。

63-65. 祭司の中にも、系図を紛失した人々がいました。 ホバヤ族、コツ族、バルジライ族などという人々です。 このうちバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘婿となり、その姓を名乗っていました。この人々は、正真正銘の祭司かどうか、ウリムとトンミム(神意をうかがう一種のくじ)によって神様の判断を仰ぐまでは、祭司の務めにつくこともできず、祭司の食糧として保証されている、供え物の分配にもあずかれないことになったのです。

66.  この時期にユダに帰った一般市民の総数は、四万二千三百六十名にのぼりました。 

67. ほかに、奴隷が七千三百三十七名、男女の聖歌隊員が二百四十五名です。 

68. 馬七百三十六頭、らば二百四十五頭、らくだ四百三十五頭、ろば六千七百二十頭もいっしょでした。

69-70. 諸族の指導者の中にも、工事のためにささげ物をする人がいました。 知事は、百五十万円相当の金、金の器五十点、祭司の服五百三十着を、ほかの指導者たちは、三千万円相当の金、二千三百万円相当の銀を、 

71. 一般市民は、三千万円相当の金、二千百万円相当の銀、祭司の服六十七着を、それぞれささげました。

72.  こうして、祭司、レビ人、門衛、聖歌隊員、神殿奉仕者、その他の人々は、おのおのユダの故郷の町や村へと帰って行ったのです。ただし、九月には、みなエルサレムに集まりました。