チャプター

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旧約聖書

新約聖書

ローマ人への手紙 9 リビングバイブル (JLB)

1-3. 私の同胞であるイスラエルの人々、同国人であるユダヤ人の皆さん。 あなたがたがキリスト様のおそばに来ることを、私はどんなに望んでいることでしょう。 昼も夜も、あなたがたのことで心は重く、悲しみのあまり、胸も張り裂けんばかりです。 あなたがたが救われるためなら、私は永遠にのろわれてもかまいません。 むしろ、のろわれたいくらいです。 口先だけでこう言っているのでないことは、キリスト様も聖霊様も知っておられます。

4. 神様は実に多くのものを与えてくださいました。 それなのにあなたがたは、いっこうに神様に聞き従おうとしません。 神様はあなたがたを、ご自分の特別な民として選び出し、栄光に輝く雲によって導き、また、どんなにあなたがたを祝福したいと思っておられるかをお示しになりました。 さらに、日常生活のさまざまな規則も与えてくださいました。 おかげであなたがたは、神様が自分たちに望んでおられることを知ることができます。 神様はまた、あなたがたに神様を礼拝することを教え、数々のすばらしい約束を与えてくださいました。 

5. あなたがたの先祖には、神様を信じる偉大な信仰の持ち主がいます。 キリストご自身も、人間としての出生についてだけ言えば、ユダヤ人であり、あなたがたの同胞だったのです。 このキリスト様こそ、今やすべてのものを支配しておられる方です。 神様を永遠にほめたたえましょう。

6. それでは、ユダヤ人に対する神様の約束は無効になったのでしょうか。 そんなことはありません。 〔神様の約束は、真の意味でのユダヤ人にだけ与えられているのです。〕 ユダヤ人に生まれついた者がみな、真の意味でのユダヤ人だとは限りません。 

7. 血筋の上でアブラハムの子孫だからと言って、真の意味でのアブラハムの子孫ではありません。 なぜなら、聖書に次のように書いてあるからです。アブラハムには、イサクのほかにも子供がいたが、神様の約束が適用されるのは、イサクとその子孫に対してだけであると。 

8. つまり、アブラハムの子供が全部神様の子なのではなく、神様がアブラハムにお与えになった救いの約束を信じる人々だけが、神様の子供なのです。

9. 神様はアブラハムに、「来年、わたしはあなたとサラに男の子を授けよう」と約束しておられました。 

10-13. それから、何年か過ぎて、息子イサクは成長し、結婚しました。 その妻リベカがみごもって、ふたごを産もうとしている時、神様はリベカに、「ふたごのうち、初めに生まれる兄のエサウが、弟のヤコブに仕える者となる」とお告げになりました。 旧約聖書には、「わたしはエサウではなく、ヤコブを祝福する」と書いてあります。 神様がこう宣言されたのは、子供たちがまだ生まれてもおらず、まだ良いことも悪いこともしていなかった時のことです。 このことからもはっきりわかるように、神様は最初から決めておいたことを実行されたのです。 子供たちの行ないによってではなく、神様の意志と選びによって、すべてが決定されたのです。

14. では、神様は不公平なのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。 

15. 神様はモーセにこう言われました。 「わたしは、自分が親切にしたい人に親切にし、情けをかけてやりたい人に情けをかける。」

16. したがって、神様の祝福は、だれかがそれを得ようと決心したからとか、そのために努力したからとかで、与えられるようなものではありません。 それは、神様が情けをかけたいと思う人に与えられるものなのです。

17. エジプトの王パロの場合は、この良い例です。 神様はパロにこう言われました。 「あなたにエジプトの国を与えたのは、わたしの恐るべき力をあなたに示すため、それによって、世界中の人々が、わたしの栄光ある名を耳にするためである。」 

18. これでわかるように、神様は、ご自分のお考えで、ある人々には親切にし、また、ある人々を不従順な者とされるのです。 

19. では、なぜ神様は人々の不従順をお責めになるのでしょう。 彼らは、神様のお考えどおりにしたのではありませんか。

20. そんなことを言ってはなりません。 神様を非難するあなたは、いったい何者なのですか。 造られた者が造った者に、「なぜ私をこのように造ったのですか」などと言ってよいでしょうか。 

21. ある人が粘土でつぼを作るとします。 その場合、同じ粘土のかたまりを、一つは美しい花びんに、もう一つはごみ捨て容器に作り上げる権利を持っていないでしょうか。 

22. そのように、どう考えても滅びるしかないような人々に対して、激しい怒りと力を示す当然の権利が、神様にはないと言うのですか。 しかし神様は、これらの人々に対して、これまでずっと忍耐してこられたのです。 

23-24. 同時に神様は、私たちのようにユダヤ人であっても、外国人であっても、ご自分の栄光の富を与えるためにお造りになった者たちを召し出し、いつくしむことで、神様の栄光がどんなに偉大かをすべての人に示す権利を持っておられます。

25. 旧約聖書のホセア書に何と書いてあるか、思い出してください。 神様は、こう言っておられます。「わたしは自分のために、ほかの子ら〔ユダヤ人以外の家系の子〕を見つけ出し、だれからも愛されたことのない、その子らを愛する。

26. そして、かつては『わたしの民ではない』と宣告された異教徒たちが、『生ける神の子ら』と呼ばれるようになる。」

27. またユダヤ人については、預言者イザヤがこう叫びました。「たとい彼らの数が海辺の砂のように多くても、ほんの一握りの者しか救われない。

28. 主はおことばを完全に、しかもすみやかに、地上に成し遂げられるからだ。」

29. イザヤはまた、ほかの個所でこう言っています。「神様のあわれみがなかったら、ユダヤ人はみな、ちょうどソドムやゴモラに住む人々が全滅したように、一人残らず滅ぼされたに違いない。」

30. それでは、どういうことになるのでしょう。 実情はこうです。 外国人は、実際には神様を求めていなかったにもかかわらず、神様は、信仰によって無罪とされる機会をお与えになりました。 

31. ところが、ユダヤ人は、神様のおきてを守ることによって、神様の前での正しい身分を得ようと、一生懸命努力したのに、得ることができませんでした。 

32. なぜでしょう。 信仰によってではなく、おきてを守ること、善良な人間になることによって救われようとしたからです。 彼らは、大きなつまずきの石につまずいたのです。 

33. このことについて、神様は旧約聖書の中で、次のように警告しておられます。「わたしはユダヤ人の通り道に、一つの岩を置く。多くの者が、それ〔イエス〕につまずくであろう。しかし、この方を信じる者は、決して失望させられることがない。」