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ローマ人への手紙 4:1-2-13 リビングバイブル (JLB)

1-2. この問題について、アブラハムの場合を考えてみましょう。 アブラハムは、人間的に見れば、私たちユダヤ民族の先祖にあたります。 信仰によって救われる問題について、彼はどんな経験をしたでしょうか。 彼が神様に受け入れられたのは、良い行ないをしたからでしょうか。 もしそうなら、彼は誇れたはずです。 しかし、神様の目から見ると、アブラハムには、誇る理由などみじんもありませんでした。 

3. というのは、旧約聖書に「アブラハムは神様を信じた。 だから、神様はアブラハムの罪を帳消しにして、『罪のない者』と宣言された」と書いてあるからです。

4-5. しかし、アブラハムが天国に行く資格を得たのは、良いことをしたからではないでしょうか。 違います。 救いは贈り物として与えられるものだからです。 もし善行によって救われるとすれば、もはや無料ではなくなってしまいます。 ところが、救いは無料なのです。 救いは、自分の力で手に入れようとしない人にこそ与えられます。なぜなら、罪人が、キリスト様は自分を神様の怒りから救い出してくださると信じきる時に、神様は彼らを、正しい者と宣言してくださるからです。

6. ダビデ王は、救われる値打のない罪人が、神様から「罪のない者」と宣言される幸いについて、こう言っています。

7. 「罪を赦された者、罪をすっかり消された者は、なんと幸いだろう。

8. もはや主に罪を数え上げられないですむ人の喜びは、どんなだろう。」

9. すると、次のような質問が出て来ます。 この祝福は、キリスト様を信じた上に、さらにユダヤ教のいろいろなおきても守っている人にだけ与えられるのでしょうか。 それとも、ユダヤ教の規則は守らなくても、ただキリスト様を信じてさえいれば与えられるのでしょうか。 アブラハムの場合はどうだったのでしょう。 「アブラハムは信仰によってこれらの祝福を受けた」と言われています。 それは、ただ信仰だけによったのでしょうか。 それとも、ユダヤ教のいろいろな規則も守ったからなのでしょうか。

10. この質問に答えるためには、まず、次の質問に答えなければなりません。 神様はいつ、アブラハムにこの祝福をお与えになったかということです。 それは、彼がユダヤ人になる前――すなわち、ユダヤ人として認められるための儀式である割礼を受ける前――のことでした。

11. アブラハムが割礼を受けたのは、神様が彼をその信仰のゆえに祝福すると約束された時より、もっとあとのことです。 割礼の儀式が行なわれる前に、アブラハムはすでに信仰を持っており、神様はすでに彼を受け入れ、ご自分の目から見て正しい者、良い者と宣言しておられました。 割礼の儀式は、そのしるしだったのです。 こうしてアブラハムは、ユダヤ教のいろいろなおきてに従わなくても、信じて救われる人々の、信仰の父とされています。 ですから、これらの規則を守っていない人々も、信仰によって神様から正しい者と認めていただけることがわかります。 

12. アブラハムは同時に、割礼を受けているユダヤ人の、信仰の父でもあります。 ユダヤ人は、アブラハムの例から、自分たちはこの割礼の儀式によって救われるのではないとわかるはずです。 なぜなら、アブラハムは、割礼を受ける前に、ただ信仰によって神様の恵みを受けたからです。

13. そういうわけで、全地をアブラハムとその子孫に与えるという神様の約束は、アブラハムが神様のおきてに従ったからではなく、神様は必ず約束を果たしてくださる、と信じたからこそ与えられたことは明らかです。 

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