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ローマ人への手紙 14:1-16 リビングバイブル (JLB)

1. 仲間に加わりたいという人がいたら、たとい信仰の弱い人であっても、あたたかく迎え入れなさい。 事の良し悪しについて考えが違うからといって、批判してはいけません。 

2. たとえば、偶像に供えられた肉を食べてもよいかどうかなどと、議論してはいけません。あなたがたは、偶像に供えられた肉を食べても別に悪くはない、と信じているかもしれません。 しかし、ほかの人たちの信仰は、もっと弱いのです。 彼らは、偶像に供えられた肉を食べるのは悪いとして、全く肉なしですませ、肉類よりむしろ野菜を食べるほうがよいと思っています。 

3. 肉を食べてもよいと思っている人は、食べようとしない人を見下してはいけません。 また、食べようとしない人は、食べる人を非難してはいけません。 神様はそのどちらをも受け入れて、自分の子供としてくださったからです。 

4. どちらも神様に仕えているのであって、あなたに仕えているわけではありません。 神様に対して責任を負うのであって、あなたに責任を負うのではありません。 正しいか、まちがっているかは、神様がその人に教えてくださるはずです。 しかも神様は、その人が正しく行動できるように助けることがおできになります。

5. ある人は、クリスチャンも、神様を礼拝する特別な日として、ユダヤ教の祝祭日を守るべきだ、と考えています。 しかし、他の人は、どの日もみな同様に神様のものだから、いちいちそんな面倒なことをするのは、まちがっているし、ばからしい、と言います。 こうした問題については、一人一人が自分で判断しなければなりません。 

6. もし主を礼拝するために特別な日を守っているなら、主をあがめようとしてすることなのですから、良いことなのです。 偶像に供えた肉を食べる人についても、同じことが言えます。 彼はその肉のことで主に感謝しているのですから、正しいのです。 そんな肉には触れようともしない人もまた、主に喜んでいただこうと切に願うからそうするのであって、彼も感謝しているのです。

7. 私たちには、自分の生死をかってに決める権利がありません。

8. 生きるにしても死ぬにしても、主に従うのです。 いずれにせよ、私たちは主のものです。 

9. キリスト様の死と復活の目的は、私たちが生きている時も死んでいる時も、キリスト様がいつも私たちの主となられることだったのです。

10. あなたがたには、自分の兄弟(信仰を同じくする人)を批判したり、見下したりする資格はありません。 だれもが、神様のさばきの座の前に立つことを、忘れてはなりません。 

11. 次のように書いてあるとおりです。「主は言われる。 わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」

12. そうです。 一人一人が、神様に申し開きをすることになるのです。 

13. ですから、これからはもう、批判し合ってはいけません。 むしろ、人をつまずかせないように生活しようと心がけなさい。 兄弟が「悪いことだ」と信じていることを目の前でしてみせて、彼をつまずかせるようなことは、絶対にいけません。

14. 私個人は、主イエスの権威に基づいて、はっきり確信しています。 偶像に供えた肉を食べることは悪くありません。 しかし、それを悪いと信じている人がいるなら、悪いことは避けるべきですから、その人は食べてはいけません。 

15. 兄弟が、あなたの食べる物のことで心を痛めているのに、そのまま平気でいるとしたら、愛によって行動しているとは言えません。 あなたの食べる物のことで人を滅ぼしてはなりません。 その人のためにも、キリスト様は死なれたのです。

16. たとい自分の行為は正しいとわかっていても、人の批判の的になるようなことをしてはなりません。 

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