旧約聖書

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ローマ人への手紙 10:8-21 リビングバイブル (JLB)

8. というのは、キリスト様を信じることによって与えられる救い〔私たちが宣べ伝えているのは、まさしくこの救いです〕は、すでに、私たちのすぐ手の届く所にあるからです。 実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。 

9. なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 

10. 人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。 

11. 聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。 

12. この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。 

13. 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。

14. しかし、主を信じていなければ、どうして主に、「救ってください」と求めるでしょうか。 また、主のことを一度も聞いたことがなければ、どうして主を信じることができるでしょうか。 だれかが教えてくれなければ、どうして主のことを聞けるでしょうか。 

15. また、だれかが遣わさなければ、どうして人々のところへ出かけて教える人が出るでしょうか。 旧約聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」とあるのは、まさにこのことです。 つまり、神様の良い知らせを伝える人は、なんと歓迎されることか、というのです。

16. しかし、この良い知らせを耳にした人がみな、喜んで受け入れたわけではありません。 預言者イザヤが、「主よ。 彼らに語った時、だれが、私のことばを信じましたか」と言っているとおりです。

17. しかし、信仰は、このキリスト様の良い知らせに耳を傾けることから、始まるのです。

18. しかし、ユダヤ人についてはどうでしょうか。 彼らは神様のことばを聞いたのでしょうか。 もちろんです。 神様のことばは、彼らをどこまでも追いかけ、良い知らせは地の果てまでも告げ知らされたのですから。 

19. さらに、ユダヤ人は、もし自分たちが神様の救いを拒むなら、その救いはほかの人々に与えられることを、知っていたのでしょうか。 もちろん、知っていました。 というのは、その昔、モーセの時代に、すでに神様はこう告げておられたからです。「わたしは、無知な異教の諸国民に救いを与えることで、わたしの民にねたみを起こさせ、その目を覚まさせよう。」

20. 後に、イザヤも大胆にこう言っています。「捜し求めもしなかった人々によって神様は見いだされる。」

21. その一方、神様はユダヤ人にも、引き続き御手を差し伸べておられるのですが、彼らは何やかやと理屈をこねて、神様のもとに行こうとしないのです。

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