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ヘブル人への手紙 7:1-12-14 リビングバイブル (JLB)

1. メルキゼデクは、サレムの町の王で、すぐれて高い神様の祭司でした。 アブラハムが多くの王たちとの戦いに勝って凱旋した時、メルキゼデクは出迎えて祝福しました。 

2. その時アブラハムは、戦利品の十分の一をメルキゼデクに差し出しました。メルキゼデクという名前の意味は「正義」であり、サレムという町の名は「平和」を意味していました。 ですから、彼は正義の王であり、平和の王です。 

3. メルキゼデクには父も母もなく、先祖の記録もありません。 また誕生も死もなく、そのいのちは、神の子のいのちに似ています。 それゆえ、彼は永遠に祭司なのです。

4. メルキゼデクがどんなに偉大な人物であるか、考えてみましょう。神様がお選びになった人の中で、最も尊敬されていたアブラハムでさえ、メルキゼデクには、王たちからの戦利品の十分の一を与えました。 

5. メルキゼデクがユダヤ人の祭司であったなら、確かにアブラハムのこの行為も、うなずけます。 というのは、後に、神様の民は、血のつながった親族である祭司のために献金することを、おきてによって義務づけられたからです。 

6. ところが、メルキゼデクはアブラハムの親族ではなかったのです。 しかし、アブラハムは彼に献金しました。メルキゼデクもまた、偉大なアブラハムを祝福しました。 

7. 言うまでもなく、祝福を与える人は祝福を受ける人よりも、常に偉大なはずです。

8. また、ユダヤ人の祭司たちは、やがては死ぬべき人間であるにもかかわらず、一般から十分の一のささげ物を受けましたが、メルキゼデクは、永遠に生きている、と言われています。

9. さらに、十分の一を受けるユダヤ人祭司の先祖であるレビ自身も、アブラハムを通してメルキゼデクに十分の一をささげたと言って差しつかえないでしょう。 

10. レビは、まだ生まれてはいませんでしたが、メルキゼデクに十分の一をささげた、アブラハムの直系の子孫だからです。

11. もしユダヤ人の祭司とおきてに、私たちを救う力があるとしたら、なぜ神様は、あえてアロンの位に等しい祭司〔ユダヤ人の祭司はすべてアロンの位を受け継いでいる〕ではなく、メルキゼデクの位に等しい祭司である、キリスト様をお立てになったのでしょうか。

12-14. 新しい系統の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、神様のおきても改められなければなりません。 キリスト様がレビ族とは全く無関係の、しかも、モーセが祭司として任命したこともない、ユダ族から出られたことは、周知の事実です。 

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