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ピリピ人への手紙 3:3-11 リビングバイブル (JLB)

3. 肉体の一部を切り取りさえすれば、神様の子供になれるのではありません。 霊をもって神様を礼拝する者こそ、神様の子供なのです。 その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。 クリスチャンの誇れることと言ったら、キリスト・イエスが成し遂げてくださったわざだけです。 自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。

4. しかし、万一、自分を救える見込みがある人間をあげるとしたら、それは私だ、と言ってもいいでしょう。 もし、人間的に見て救われる人がいるとしたら、私には、確かにその可能性があります。 

5. 生粋のユダヤ人として、由緒あるベニヤミンの家系に生まれた私は、八日目に、ユダヤ人のしるしとしての儀式である、割礼を受けました。 つまり、だれにも引けを取らない、正真正銘のユダヤ人です。 その上、ユダヤ教のおきてや習慣のすべてを守る点にかけては、最もきびしいパリサイ派に属していました。 

6. 熱心さの点ではどうだったかと言うと、もちろん、熱心なあまり、教会を激しく迫害したほどです。 そして、ユダヤ教のささいな規則や規定にも徹底的に従おうと、懸命に努力しました。

7. しかし、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。 それは、ただキリスト様だけに信頼し、キリスト様だけに望みをかけるためです。 

8. そうです。 主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もなくすばらしい特権と比べれば、ほかのものはみな、色あせて見えるのです。 私は、キリスト様以外のものは、がらくた同然にみなし、全部捨ててしまいました。 それは、キリスト様を自分のものとするためであり、 

9. また、もはや、良い人間になろうとか、おきてに従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリスト様を信じることによって救われ、キリスト様と結ばれるためです。 神様が、私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリスト様だけに頼ること――を持っているかどうかで、決まるからです。 

10. 私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。 つまり、真にキリスト様を知ること、キリスト様を復活させた超自然的な力を、身をもって体験すること、そして、キリスト様と共に苦しみ、また死ぬとは、どういうことかを知ることです。 

11. 死人の中から復活した者特有の、生き生きとした新しいいのちに生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。

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