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コリント人への第二の手紙 1:9-24 リビングバイブル (JLB)

9. 死を覚悟し、自分の無力さを痛いほど思い知らされました。 しかし、それがよかったのです。 というのは、そんな状態の中で、何もかも神様にお任せしたからです。 救い出すことができるのは、神様だけです。 死人を復活させることさえ、できるお方なのですから。 

10. やはり、神様は私たちを助け、恐ろしい死の危険から救い出してくださいました。 そしてこれからも、何度でも、救い出してくださるに違いありません。 

11. あなたがたもまた、祈りによって私たちを助けてください。 それは、私たちの安全を願う、その祈りに、神様がはっきりと答えてくださるのを見て、あなたがたが、もっともっと感謝と賛美をささげるようになるためです。

12. 私たちは、どのような場合にも、自分の知恵に頼らず、助けてくださる主に静かに信頼し、きよさと誠実さをもって行動してきました。 特にあなたがたには、そのようにふるまってきました。 胸を張ってそう言えるのを、とてもうれしく思います。 

13-14.  私の手紙は、単刀直入に、しかも、真心をこめて書いたものです。 どちらにも取れるあいまいなことは、決して書いていません。 それで、たとい今は、私についてあまりよく知らないあなたがたでも〔もっとも、いつかはよく知っていただきたいのです〕、私を受け入れ、私を誇りとしてくださるよう望みます。 もちろん、今も、ある程度そうしてくれていますが。 ちょうど、主イエスがもう一度帰って来られる日に、私があなたがたを誇りにするのと同じようにです。 

15-16. あなたがたの私に対する理解と信頼を確信したので、次のような計画を立てました。 すなわち、マケドニヤへ向かう途中、まずコリントであなたがたに会い、また帰りにも立ち寄るという計画でした。 そうすれば、あなたがたは二倍の祝福を受けることができ、私も、あなたがたに送られて、ユダヤへ行けるからです。

17. では、なぜ計画を変更したのか、と尋ねるかもしれません。 その決心が、まだ固まっていなかったからでしょうか。 それとも、私も世間の人のように、ほんとうは「いいえ」のつもりで「はい」と言ったりしたのでしょうか。 

18. 絶対にそんなことはありません。 私がそんな人間でないことは、神様の真実さと同様に確かです。 私の「はい」は、ほんとうに「はい」なのです。

19. テモテとシルワノと私は、神の子キリスト・イエスについて語ってきました。 この方は、「いいえ」の意味で「はい」と言われる方ではありません。 いつも、ことばどおり実行なさいます。 

20. また、どれほどたくさんの神様の約束でも、ことごとく実行し、完成なさいます。 それで私たちは、この方がどんなに真実な方か、すべての人に知らせ、その御名をほめたたえるのです。 

21. あなたがたや私を、忠実なクリスチャンとし、また私たちを、良い知らせを宣べ伝える使徒に任命してくださったのは、この神様です。 

22. また、神様のものとなった証拠の印を私たちに押し、私たちの心に聖霊様を遣わしてくださったのも神様です。 この聖霊様は、私たちが神様のものであることの保証であり、また、神様が下さる最初の贈り物です。

23. この神様に証人となっていただき、少しの偽りもない真実を述べましょう。 私がまだ、あなたがたを訪問しないでいるのは、きびしくしかりつけて悲しい思いをさせたくないからです。 

24. コリントへ行く時には、〔もっとも、すでにしっかりした信仰を持っているあなたがたのために、私は、そうお役に立てるわけではありませんが〕あなたがたを喜ばせることをしたいと願っています。 悲しみではなく、喜びをもたらしたいのです。

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