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コリント人への第一の手紙 6:1-14 リビングバイブル (JLB)

1. クリスチャン同士の争いが生じた場合、どちらが正しいかを、他のクリスチャンに判断してもらおうとせず、異教徒の法廷に訴え出るとは、いったいどういうつもりですか。 

2. いつか、私たちクリスチャンがこの世をさばき、支配する日が来ることを知らないのですか。 この世こそあなたがたにさばかれる運命にあるのに、どうしてあなたがたは、内輪のそんなささいな事件さえ解決できないのですか。 

3. クリスチャンは、天の御使いさえもさばくようになることがわからないのですか。 この地上での自分たちの問題をさばくくらい、朝飯前のはずです。 

4. それなのに、なぜ、教会外の、クリスチャンでもない裁判官のもとへ出向くのですか。 

5. あえてあなたがたに恥をかかせようと、私はこう言うのです。 いったい教会には、こうした争いを解決できる賢明な人が、一人もいないのですか。 

6. それで、クリスチャンがクリスチャンを訴え、しかも、それを異教徒の前に持ち出すようなまねをするのですか。

7. そもそも、訴え合うこと自体が、クリスチャンにとって、すでに敗北です。 なぜ、不正な仕打ちに甘んじようとしないのですか。 むしろ、だまされるほうが、もっと主に喜ばれるでしょう。 

8. ところが、あなたがたは不正を行ない、だまし取り、しかも兄弟(信仰を同じくする人)に対して、そんなことをしているのです。

9-10. こんな者が神の国を相続できないのは、当然ではありませんか。 思い違いをしてはいけません。 不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫する者や同性愛にふける者は、神の国を相続できません。 どろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をそしる者、強盗も同様です。 

11. あなたがたの中にも、そんな過去をもつ人がいます。 しかし、主イエス・キリストと神の御霊のおかげで、今や罪は洗い流され、あなたがたは神様のために聖なる者とされ、神様に受け入れられているのです。 

12. キリスト様が禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。 しかしその中には、自分のためにならないこともあります。 たとい、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには、手を出しません。 

13. たとえば、食べることについて考えてみましょう。 神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。 しかし、だからといって、必要以上に食べてよい、ということにはなりません。 食べることが第一だなどと考えてはいけません。 なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げるからです。しかし、性的な罪は絶対にいけません。 私たちの体は、そんなことのためにではなく、主のために造られたのです。 そして、主ご自身が、私たちの体に住もうと願っておられます。 

14. 神様は、主イエス・キリストを復活させたのと同じ力で、私たちの体をも、死人の中から復活させようとしておられます。 

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