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コリント人への第一の手紙 14:15-31 リビングバイブル (JLB)

15. では、どうすればよいのでしょう。 私は二通りのことをします。 異言で祈り、また、だれにでもわかる普通のことばでも祈るのです。 異言で賛美し、また、自分にもわかるように、普通のことばでも賛美するのです。 

16. もしあなたが、異言を用いて、霊だけで神様を賛美し、感謝をささげても、それを理解できない人たちは、どうして、いっしょに賛美できるでしょう。 また、どうして、いっしょに感謝できるでしょう。 

17. 確かに、あなたは心からの感謝をささげていることでしょう。 しかし、そこにいる人たちには、何の益にもならないのです。

18. 私は、個人的には、あなたがたのだれよりも多く「異言を語る」ことを、神様に感謝しています。 

19. しかし、公の礼拝の場では、異言で一万語話すよりも、人々に役立つ五つのことばを話すほうが、ずっとよいのです。

20. 愛する皆さん。 こんな道理がわからないような子供であってはなりません。 悪事をたくらむことにかけては、無邪気な赤ん坊でありなさい。 しかし、こうしたことを理解する点では、知恵のある大人になりなさい。 

21. 旧約聖書に次のように書いてあります。 神様は、外国語で自分の民に語るために、外国人を遣わされるが、それでもなお、民は耳を傾けない、と。 

22. 「異言」は、信者のためではなく、信じない人々のさばきのしるしとして語られるのです。 けれども、預言〔神の深い真理を説くこと〕は、クリスチャンにとって必要なもので、クリスチャンでない者は、まだ、それを聞く準備ができていません。

23. それにしても、まだ救われていない人や、この才能を持っていない人が教会に来て、皆が聞いたこともない国のことばで語っている現場に出くわしたら、きっと気違いだと思うでしょう。 

24. しかし、もしあなたがたが、神様のことばを語って預言しているなら〔たといその説教が、主として信者向けのものであっても〕、まだ救われていない者やクリスチャンになったばかりの者〔すなわち、そのようなことがわからない者〕も、みんなの説教によって、自分が罪人であると、はっきり自覚するでしょう。 そして、耳にする一つ一つのことばによって、良心を刺されるでしょう。 

25. そのうちに、心の中の隠れた思いがあばかれ、ついには、「神様は、ほんとうにあなたがたと共におられます」と叫んでひれ伏し、神様を礼拝するでしょう。

26. さて、皆さん、私の言わんとすることをまとめてみましょう。 あなたがたが集まる時には、ある人は賛美し、ある人は教え、ある人は神様から教えられた特別の知識を語ります。 ある人は異言を話し、またある人は、その異言の内容を人々に説明します。 ただし、これらはすべて、全体の益となり、一同が主にあって成長できるよう役立つものでなければなりません。 

27. 異言で話すのは、せいぜい二人か、多くても三人どまりにしなさい。 しかも、一度に一人が話し、その内容を解き明かせる人がそばにいなければなりません。 

28. もし解き明かしのできる人がいなければ、声に出して語ってはいけません。公に語るのではなく、ひとり言か、または神様に向かって語りなさい。

29. 預言の才能に恵まれている人の場合も、一人ずつ二人か三人が預言しなさい。 そして、ほかの人はみな、それを聞くのです。 

30. しかし、だれかの預言中に、別の人に主から特別のお告げとか考えが与えられたら、先に話していた人は口をつぐみなさい。 

31. このようにして、預言の才能に恵まれている人はみな、代わる代わる話しなさい。 そして、だれもが学び、励まされ、助けを受けるのです。 

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