チャプター

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  2. 2
  3. 3
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  8. 8
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  10. 10
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旧約聖書

新約聖書

コリント人への第一の手紙 12 リビングバイブル (JLB)

1. さて、皆さん。 聖霊様があなたがたに授けてくださった特別な才能について、書きたいと思います。 この点で、少しの誤解もないようにと願うからです。 

2. 覚えがあると思いますが、あなたがたはクリスチャンになる前、ひと言も口がきけない偶像のもとへ、あちこち出かけたものでした。 

3. ところが、いま接している人たちは、自分は神の御霊から託されたことばを語っている、と主張する人たちです。 その人たちがほんとうに神様に導かれているのか、それとも、ただそんなふりをしているだけか、どのようにして見分ければよいでしょう。 そのためには、次の点に注意しなさい。 すなわち、神の御霊の力を受けている者はだれも、イエスをのろうことはできないし、また、聖霊様の助けがなければ、だれも、ほんとうの意味で、「イエスは主です」と告白できない、という点です。

4. ところで、神様は私たちに、いろいろな種類の特別な才能を与えてくださっていますが、みな、聖霊様から出たものです。 

5. 神様への奉仕はいろいろですが、私たちは同一の主に仕えているのです。

6. 神様は私たちの生活の中で、いろいろな方法で働きかけてくださいます。 しかし、神様のものとされた私たちの中で、また私たちを通してお働きになるのは、ただ一人の神様です。 

7. 聖霊様は、教会全体の利益のために、私たちを通して神様の力を現わしてくださるのです。

8. 御霊様はある人に、賢明な助言者としての才能を与えておられます。 またある人には、研究し、人に教える点ですぐれた才能を与えておられます。 

9. また、ある人には特別な信仰を与え、ある人には病気を治す力を与えておられます。 

10. そのほか、奇蹟を行なう力が与えられている人もあれば、預言や説教をする力をいただいている人もいます。 また御霊様は、ある人には、「自分は神のことばを与えられている」と主張する人が、ほんとうに神の御霊によって語っているかどうかを見分ける力を、与えておられます。 そしてさらに、ある人には、異言〔今まで知らなかったことば〕で語る能力を与え、同時に、別の人にその異言を解き明かす能力を、授けておられるのです。 

11. こうしたすべての賜物と力は、同一の聖霊様が思いのままに、私たちに与えてくださるのです。

12. 人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。 キリスト様の「体」についても、同じことが言えます。 

13. 私たちはそれぞれ、キリスト様の体の一部です。 ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。 しかし、聖霊様は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。 私たちは、ただ一人の御霊様によって、キリスト様の体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな、同じ神の霊を与えられているのです。

14. 確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。 

15. たとい足が「私は手ではないから、体の一部ではない」と言いはったところで、体の一部でなくなるわけではありません。 

16. また、もし耳が「私は耳で、目ではないから、体の一部ではない」などと言ったら、どうでしょう。 そんなことで、耳が体から離れることができますか。 

17. 考えてもごらんなさい。 もし体全体が目であれば、聞くことができるでしょうか。 もし体全体が巨大な一つの耳なら、においをかげるでしょうか。

18. しかし、神様は私たちの体を、そのように造られたのではありません。 体のために多くの部分を造り、各部分を思い通りに配置されました。 

19. もし体が単一の器官でできていたら、それこそ、ばけものです。 

20. ですから、神様は多くの器官を造られました。 しかし、やはり体は、ただ一つなのです。

21. 目が手に、「私には、あなたなんか必要じゃない」などとは、決して言えません。 また、頭が足に、「あなたなんかいらない」とも言えません。

22. それどころか、一番弱く、一番不要だと思われている部分が、実は、最も必要なのです。 

23. そうです。 私たちは、むしろ余分と思える部分が与えられていることを、特に喜ぶのです。 そして、人目にさらすべきでない部分は、人目から注意深く守ります。 

24. 一方、見られてもよい部分は、もちろん、特別な注意を要しません。 そのように、神様は、あまり重要視されない部分が特別に重んじられ、注意深く扱われるように、体を組み立ててくださったのです。 

25. それは、各部分が幸福になり、互いにいたわり合うためです。 

26. もし一つの部分が苦しむなら、すべての部分が共に苦しみます。 そして、一つの部分が重んじられれば、すべての部分が喜ぶのです。

27. そこで、私は次のことを言いたいのです。 すなわち、あなたがたは共に、キリストという一つの体であり、一人一人が、なくてはならない部分である、と。 

28. キリスト様は、自分の体である教会を形成する個々の部分として、人々を次のように任命されました。使徒、預言者〔神のことばを伝える者〕、教師、奇蹟を行なう者、病気を治す力のある者、人々を援助する者、人々の働きを管理する者、異言で話す者。

29. 皆が使徒でしょうか。 もちろん違います。 皆が説教者でしょうか。 違います。 皆が教師でしょうか。 皆が奇蹟を行なえるでしょうか。 

30. 皆が病気を治せるでしょうか。 もちろん、そんなことはできません。 神様は全員に、異言で話す能力を与えておられるのでしょうか。 またそれを、皆が理解し、解き明かすことができるでしょうか。 

31. そんなことはありません。 しかし、あなたがたは、これらの賜物より、もっと大切なものを、全力を尽くして求めなさい。ところで、まず、これらの賜物よりもすぐれたものについて教えましょう。