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コリント人への第一の手紙 10:20-33 リビングバイブル (JLB)

20. 私が言いたいのは、偶像に物を供える人は、もちろん神様にではなく、悪霊にささげる点で、みな一つに結ばれているということです。 あなたがたの中から、偶像への供え物を異教徒たちと共に食べたりして、悪霊の仲間になる人など、一人も出てほしくありません。 

21. 主の食卓の杯と悪霊の食卓の杯の両方を飲むことはできません。 同じように、主の食卓のパンと悪霊の食卓のパンを、両方とも食べることなどできません。

22. いったい、あなたがたは、主を怒らせようとしているのですか。 自分が主よりも強いとでも言うのですか。 

23. もし食べたければ、偶像への供え物を食べても、一向にかまいません。 その肉を食べても、神様のおきてに反しません。 しかし、だからといって、それをどんどん食べてよい、ということにはなりません。 たとい、少しもおきてに反しないことでも、最善とは限らず、また有益でない場合もあるのです。 

24. 自分のことばかり考えてはいけません。 他人を思いやり、何がその人にとって最善か、よく考えなさい。

25. こうすればよいのです。 市場で売られている肉は、どれでも自由に食べなさい。 それが偶像に供えられた物かどうか、いちいち尋ねなくてよいのです。 そうすれば、良心を傷つけることもないでしょう。 

26. 地と、地上にある良いものはみな、主のものであり、あなたがたを楽しませるために、あるのですから。

27. クリスチャンでない人から食事に招待された場合、行きたければ、行ってかまいません。 そして、出される物は、何でも食べなさい。 それについて、いちいち尋ねてはいけません。 尋ねなければ、偶像に供えられた物かどうかわからないし、食べて良心が傷つく心配もありません。 

28. しかし、もしだれか、「この肉は偶像に供えられたものです」と注意してくれる人がいたら、その人のために、またその人の良心のために、出された肉を食べるのはやめなさい。 

29. この場合、肉についての自分の判断よりも、相手の考えが、大切なのです。しかし、あなたはこう言うでしょう。 「なぜ、他人の考えに支配されたり、束縛されたりしなければならないのですか。 

30. 神様に感謝してそれを食べることができれば、他人から、とやかく言われる筋合いは、ないではありませんか。」 

31. では、その理由を申しましょう。 つまり、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神様の栄光のためにすべきだからです。 

32. ですから、相手がユダヤ人であれ、外国人であれ、クリスチャンであれ、だれをも、つまずかせてはいけません。 

33. これは、私の生活の原則でもあります。 私は、何をするにも、すべての人に喜ばれようと務めています。 自分のしたいことや、つごうの良いことをするのでなく、人々が救われるのに最善のことをするのです。

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